釜石市を訪問することができました  2011年8月

 7月19日から21日にかけて釜石市を訪問することができました。
 議員団では9月議会後の訪問を検討していたところ、FDA航空の花巻空港行きがあることがわかり、急きょ実行しました。高校卒業まで釜石市に住んでいた東海市在住の知人と、安井議員と私の3人で出かけました。
 レンタカーを借りて、ホテルを探してと計画していましたが、菊池孝釜石市議宅に泊めて頂き、20日の1日かけて主だった被災地域や市役所、県立釜石病院・党地区委員会など案内して頂くことが出来、本当に助かりました。
 市内は信号がまだ壊れたままの所があったり、道路のがれきはよけられているものの、復旧していない道路があったり、沿岸部に近づくにしたがい、街並みが破壊され、戦場のような荒涼とした風景が広がっていたりで、とても私たちだけで被災地域を回ることは難しかったと思います。
 この大震災で亡くなった方たちの無念さと被害の悲惨さをしっかり心に刻み、教訓を導き出し、災害に強いまちづくりに活かしていかなければと痛感しています。また、被災地への救済・復興に向け、国・地方で引き続き頑張ります。


津波の概要(釜石市資料)
●最大波  9.3m(釜石港湾合同庁舎などから推定)

●土木学会参考値

・9.2m・・・釜石湾平田漁港付近・浸水高
・19.3m・・・両国湾両国漁港背後地・溯上高)
・15.4m・・・大槌湾釜石東中学校近くの崖・溯上高
津波は高さ3mと放送され、2階で安全と判断して大津波に襲われ被災した人が多くいます。





★釜石市役所周辺・釜石港周辺の被災状況



★釜石港には津波で貨物船が陸に漂着。解体されるそうです。





★箱崎町は山の方の家を残してほぼ全滅。箱崎小学校には全国から送られた315匹の「希望の鯉」が泳いでいます。



鵜住居(うのすまい)地区の2階建の防災センターに周辺住民約100人が避難。2階まで津波が押し寄せ、70人もの命が奪われています





★鵜住居地区にある釜石東中学校では、生徒たちが自主的に校庭を駆け抜け高台の避難所に移動。隣接する鵜住居小学校の小学生も後に続いて避難。その避難場所も危険(波にさらわれる)と判断し、さらに高台に避難して間一髪で難を免れています。



★沿岸部では堤防があちこちで決壊。津波の凄まじさを物語っています




★プロパンで火災が発生した地域。火災した跡と焦げ臭いにおいがしています





★がれきは道路脇に片付けられ、道路の復旧に追われています





★仮設住宅が建てられています。






★県立釜石病院は4月に耐震工事が予定されていた矢先に大震災に遭い、倒壊の恐れから、ベッドは26床になり(現在40床)、診療に当たっています。自宅も、入る病院も無くなって避難生活を余儀なくされている患者さんも多いそうです






★花巻空港の屋上の壁に、宮沢賢治のイーハトーブの森をイメージした彫刻がはめ込まれていました。宮沢賢治が生きていたら、この大震災に心を痛め、救援に奮闘したのではないか、そんな思いになりました。